
ルイス・キャロル
川べりの土手に座って、姉の読む本をちらちらと覗いてみたものの、挿絵もなければ会話もない。
アリスは溜息をつきました。
「絵も会話もない本に、いったいなんの意味があるのかしら」
空気は甘く、午後の日差しは瞼を重くし、雛菊の花冠を作ろうかとぼんやり考えてはみるものの、立ち上がって花を摘みに行くほどの気力もありません。夏の午後とは、そういうものです。思考が蜂蜜のようにゆっくりと流れ、世界の輪郭がぼやけてゆく——
そのとき、白い兎が一匹、目の前を走り抜けました。
それだけなら別段おかしくはなかったかもしれません。けれどその兎は——
「大変だ、大変だ、遅刻してしまう!」
そう呟きながら、チョッキのポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認してからまた走り出したのです。
チョッキを着た兎。時計を持った兎。
アリスは跳ね起きました。「チョッキのポケットから時計を出す兎なんて、見たことがないわ」——そう思ったときにはもう、垣根を越えて野原を駆け出していました。白い尻尾が、生垣の下の大きな穴に飛び込むのが見えました。

アリスは一瞬もためらわずに、その穴へ飛び込みました。
この先どうやって出るかなど、まるで考えもせずに。
穴はしばらくまっすぐにトンネルのように続いてから、突然、垂直に落ちました。あまりに唐突で、止まろうとする暇もなく、アリスは深い深い井戸のような穴を落ちていきました。
井戸がとても深いのか、それとも落ちる速度がとても遅いのか——考える時間はたっぷりありました。まず下を覗いて、これから何が起こるのかを見定めようとしましたが、暗くて何も見えません。それから横の壁に目をやると、食器棚や本棚がずらりと並んでいます。あちこちに地図や絵が釘で掛けてありました。
棚の一つからマーマレードの瓶を取りました。けれど中身は空っぽです。がっかりして、落ちながら瓶を戻しました——落下中に瓶を落として下の誰かの頭に当てたくはありませんから。
「こんなに落ちたのだから」とアリスは考えます。「もう階段なんか怖くないわ。みんなにきっと勇敢だと思われるでしょうね。屋根から落ちたって、きっと声ひとつ上げないわ」
それはおそらくその通りでしょう。
落ちて、落ちて、まだ落ちて。いつまで経っても終わりません。
「地球の反対側まで突き抜けるのかしら。対蹠地に住んでいる人たちの間に出たら面白いわ」——そんなことを朦朧と考えるうちに、眠気がアリスを包み始めました。
どさっ。
枯れ葉と小枝の山に着地して、長い落下はようやく終わりました。
目の前にはまた長い廊下が続いていて、白うさぎの後ろ姿が角を曲がるところでした。一刻も無駄にはできません。アリスは風のように走りました。角を曲がると、うさぎの姿はもうありません。
代わりに、低い天井の長い広間に出ました。天井から吊り下がったランプが部屋をぼんやりと照らしています。壁には扉がずらりと並んでいましたが、どれも鍵がかかっていました。
広間の真ん中に、三本脚のガラスのテーブルがありました。その上に、小さな金色の鍵がひとつ。
アリスは片っ端から扉に合わせてみましたが、どれにも合いません。けれど二周目に気づきました。低いカーテンの陰に、膝ほどの高さの小さな扉があったのです。金の鍵を差し込むと——かちり、と回りました。
扉の向こうに見えたのは、今まで見たこともないほど美しい庭でした。鮮やかな花壇と涼しげな噴水が、小さな通路の先に輝いています。けれどアリスの頭どころか、体が入る大きさではありません。
「せめて望遠鏡みたいに体を畳めたらいいのに」
この一日でこれほど不思議なことが続いたので、アリスはもう何が不可能かよくわからなくなっていました。
テーブルに戻ると、先ほどはなかった小さな瓶が置いてありました。
首に紙の札が結んであり、美しい大きな字で「ワタシヲオノミ」と書いてあります。
アリスは賢い子でしたから、言われるがままに飲んだりはしません。「毒」と書いてないか瓶をぐるりと確かめ、それからほんの一口、口をつけました。
チェリータルトとカスタードとパイナップルとローストターキーとトフィーと焼きたてのバタートーストを全部混ぜたような味がしました。とても美味しかったので、アリスはあっという間に全部飲み干してしまいました。

「なんだかとても不思議な感じ」
アリスの体が、望遠鏡を畳むように縮んでゆきます。みるみるうちに二十五センチほどになりました。ちょうど、あの美しい庭への小さな扉をくぐれる大きさです。
——けれど、金の鍵はテーブルの上。
見上げると、ガラスのテーブルの縁が遥か頭上にありました。脚をよじ登ろうとしましたが、ガラスは滑らかで、何度試しても指が滑り落ちます。
とうとうアリスは座り込んで泣き出しました。
「泣いたってしょうがないでしょう」と、自分に厳しく言い聞かせます。「いますぐおやめなさい」
アリスにはこういう癖がありました。自分にお説教をするのが好きなのです。ときどきお説教が厳しすぎて、自分で泣いてしまうこともありましたし、一度はクロッケーの試合で自分にずるをしたと叱って自分の耳を引っぱったこともあります。
テーブルの下に小さなガラスの箱が落ちていました。蓋を開けると、小さなケーキが入っていて、干し葡萄で「ワタシヲオタベ」と美しく書いてあります。
「いいわ、食べてみましょう」とアリスは言いました。「大きくなるなら鍵に手が届くし、小さくなるなら扉の下から潜れるもの。どちらにしても、あの庭に行けるわ」
一口かじると——伸びる、伸びる、止まらない。
頭が天井にぶつかりました。慌てて金の鍵を掴み、小さな扉へ走りましたが、今や身長は三メートル近く。扉の前に横たわって片目で向こうを覗くのが精一杯です。あの庭はますます遠い。
アリスは座り込んで、また泣き出しました。今度は大きな体から大粒の涙がとめどなく流れ、床を浸し、あたり一面が深い水溜りになりました。
広間の半分が深さ十センチほどの涙の池に沈んだころ、ぱたぱたと足音が聞こえました。白うさぎが正装して戻ってきたのです。片手に白い山羊革の手袋、もう片方に大きな扇を持ち、大急ぎで走りながらひとりごとを言っています。
「ああ、公爵夫人が、公爵夫人がお待ちだ。お待たせしたら怒るぞ——」
アリスは恐る恐る声をかけました。けれど白うさぎは飛び上がるほど驚いて、手袋と扇を落として暗がりへ駆け去ってしまいました。
アリスは落ちた扇を拾い、広間の蒸し暑さに扇ぎ始めました。
「今日はなんて変な一日なのかしら。昨日まではちゃんと普通だったのに。夜のうちに取り替えられたのかしら。朝起きたとき、わたしはまだわたしだった? 違う子になっていたような気もするわ」
そう呟きながら扇ぎ続けていると——また体が縮み始めていることに気づきました。扇がいけないのです。慌てて投げ捨てましたが、もう少しで完全に消えてしまうところでした。
気がつくと、足元は涙の池でした。自分が巨大だったときに泣いた涙の海に、今度はちっぽけな体で溺れそうになっているのです。
「あのとき泣かなければよかった」
塩辛い水をかきわけて泳いでいると、すぐそばでばちゃばちゃと音がしました。見ると、鼠が一匹、同じように泳いでいます。こんな場所に落ちてきたのでしょうか——それとも最初からいたのでしょうか。
アリスは話しかけてみました。「ねずみさん、この池の出口をご存知ありませんこと?」
ねずみは答えません。「もしかして仏蘭西語しかわからないのかしら」——アリスはフランス語の教科書で最初に出てきた文を唱えました。「わたしの猫はどこですか?」
ねずみは水の中で飛び上がりました。
涙の池には、いつの間にかたくさんの生き物が集まっていました。鸚鵡のローリーに、小鷲、鶩、そのほかいろいろな鳥や獣たち。アリスが先頭に立って泳ぎ、みんなぞろぞろと岸に上がりました。
問題は、全員がびしょ濡れだということです。
「乾く方法を知っている」
渡渡鳥が厳かに言いました。「幹事競走だ」
「幹事競走って何?」とアリスが聞くと、ドードーは「やるのが一番の説明だ」と答えました。
ドードーが地面にだいたいの円を描き——正確である必要はないと言いました——みんながてんでばらばらに走り始めました。出発の合図もなく、終わりの合図もありません。好きなときに走り始め、好きなときに止まるのです。
三十分ほどしてからドードーが突然「競走は終わりだ!」と叫びました。
みんなが息を切らせて集まります。「それで、誰が勝ったの?」
ドードーは長いこと指を額に当てて考え込み(シェイクスピアの肖像画のような格好で)、ついに宣言しました。
「全員が勝った。全員に褒美を」
「でも褒美は誰が出すの?」
ドードーは全員の視線をアリスに集めました。アリスはポケットの中にあった金平糖の箱を配ることになり——自分の分だけが足りませんでした。ポケットには指貫が一つ残っていたので、ドードーがそれをアリスに厳かに差し出しました。「指貫を贈呈する」
みんなが拍手しました。
ぱたぱた、ぱたぱた。
白うさぎが再び走ってきました。「メアリ・アン! メアリ・アン! わたしの手袋はどこだ——」
アリスを召使いのメアリ・アンと間違えたのです。怖くてとても訂正できず、アリスはうさぎの後を追って走りました。
「家に戻って手袋と扇を持ってきてくれ。急いで!」
小さな家にたどり着き、「白うさぎ」と真鍮の板に彫られた扉を開けて二階に駆け上がると、鏡台の上に手袋がありました。そのそばに——また小さな瓶が。
今度は「ワタシヲオノミ」とは書いてありません。けれどアリスはもう好奇心に抗えませんでした。
「飲むと何かが起こるのよね」

半分ほど飲んだところで、頭が天井にぶつかりました。
アリスは瓶をその場に置き——もう置けるだけ幸運でした——床に座り込みました。けれど体は膨らみ続けます。片腕は窓から突き出し、片足は暖炉に突っ込み、もう一方の足は煙突を塞ぎました。
「これ以上大きくなれないから、これでおしまいね」
けれどそうはいきませんでした。体は伸び続け、ついに床に寝そべって片肘をつき、ドアに片足を押し当てる格好になりました。もう身動きが取れません。
外から白うさぎの甲高い声が聞こえます。「メアリ・アン! メアリ・アン! すぐに手袋を持ってこい!」
そしてドアを開けようとしますが、ドアは内側に開く造りで、アリスの肘がしっかりと押さえつけています。うさぎは窓に回ることにしたようです。
「それはさせないわ」とアリスは思い、窓から突き出した巨大な手をばっと広げました。何かを掴みはしませんでしたが、外でいくつもの小さな悲鳴と、ガラスの割れる音がしました。「胡瓜のフレームの上に落ちたぞ!」と誰かが叫びました。
それから相談の声。「煙突から入れよう」「蜥蜴のビルを下ろすんだ」
「ビルが煙突に入るのね」アリスは思いました。「何でもかんでもビルにやらせるのね。ビルになんかなりたくないわ」
煙突の中を小さな足がかさかさと下りてくる音がしました。アリスは暖炉に詰め込んだ足を思い切り蹴り上げました。
「ビルだ!」と外で叫び声。何かが空高く弧を描いて飛んでいきました。
そのあと小石の雨が窓から降り注ぎ——いくつかがアリスの顔に当たりました。けれど床に落ちた小石は、みるみるうちに小さなケーキに変わっていったのです。
「食べれば大きさが変わるはず」
アリスはひとつを口に入れました。たちまち体は縮み始め、ドアを抜けられる大きさになるやいなや、家を飛び出して森の中へ駆け込みました。
後ろから、白うさぎと仲間たちの怒号が追いかけてきましたが、アリスの足の方が速かったのです。

森は深く、木々は背が高く、アリスの今の体にはすべてが巨大でした。
「まず、元の大きさに戻らなくちゃ。それから、あの美しい庭への道を見つけるの」
完璧な計画です。明快で理路整然としています。
——ただひとつ、それをどうやって実行するかだけが、まるでわかりませんでした。
木の根元を覗き込んだり、草の陰を探したりしていると、ふと頭上に巨大な茸が目に入りました。アリスの背丈とちょうど同じくらいの高さです。下から覗き、横から回り込み、背伸びをして茸の上を見ると——
大きな青い芋虫が、腕を組んで座っていました。長い水煙管をくゆらせ、アリスのことも周りの世界のことも、まるで気にしていない様子で。
しばらくのあいだ、二人は黙って見つめ合いました。
やがて芋虫は口から水煙管を外し、気怠く、眠たげな声で言いました。
「おまえは——だれだ」
これは会話の出だしとしてあまり励みになるものではありません。アリスはおずおずと答えました。
「それが……自分でもよくわからないのです。今朝起きたときは自分が誰だかわかっていたのですけれど、それから何度も何度も変わってしまったものですから」
「どういう意味だ」と芋虫は厳しく言いました。「説明しろ」
「自分で自分を説明できないんです」アリスは丁寧に言いました。「だって、わたしはわたしではないのですから」
「わからん」と芋虫は言いました。
「もっとはっきり言えないのですみません」アリスはとても丁寧に答えました。「でも自分でもはっきりわからないのです。一日のうちに何度も大きさが変わると、頭が混乱してしまって」
「しない」
「あなたはまだ経験していないのかもしれません。でも蛹になって、それから蝶になるとき——少し変な気持ちになると思いませんか」
「思わない」と芋虫はきっぱり言いました。
「それなら、あなたの感じ方はわたしと違うのでしょう。わたしだったら、とても変な気持ちだと思います」
「おまえだったら!」芋虫は軽蔑したように言いました。「おまえは——だれだ」
会話は振り出しに戻りました。
アリスが苛立って立ち去ろうとすると、芋虫は呼び止めました。
「戻れ。大事な話がある」
アリスは振り返りました。
芋虫は長い水煙管を一服し、ゆっくりと煙を吐き出してから言いました。
「怒るな」
「それだけですか」アリスは怒りを飲み込みました。
「いや」芋虫は茸の上でゆるりと身じろぎしました。「おまえは大きさを変えたいのだったな」
「はい。もう少し大きくなりたいのです。八センチというのはあんまりみじめな背丈です」
「じゅうぶん立派な背丈だ」芋虫は——自分がちょうど八センチの高さで——背筋を伸ばして怒りました。
しばらくの沈黙のあと、芋虫は水煙管を口から外し、茸を降り始めました。草の中へ這ってゆきながら、ぽつりと言いました。
「片側を齧れば伸びる。反対側を齧れば縮む」
「何の片側です?」アリスは考えました。
「茸の、だ」
それだけ言い残して、芋虫は草むらに消えました。
アリスは茸をじっと見つめました。丸い茸のどちらが「片側」でどちらが「反対側」なのか——考えるほどにわからなくなります。両腕をめいっぱい伸ばして、茸の縁の両端からひとかけらずつ千切りました。
「さて、どっちがどっちかしら」
右手のかけらを少し齧ってみました。
途端に顎が足にぶつかりました。
縮んだのです——恐ろしい速さで。慌てて左手のかけらを齧ると、今度は首がぐんぐん伸びて、木の上に突き出しました。はるか下に自分の肩が見えます。首は蛇のようにうねり、木々の梢の上を揺れていました。
枝の間から鳩が飛び出してきて、アリスの顔をばたばたと打ちました。「蛇め!」
「蛇じゃありません!」
「嘘をつけ。木の上に長い首を伸ばして卵を狙う——蛇以外の何だというんだ」
アリスは否定しましたが、あまり自信がありませんでした。自分が何なのか、もうよくわからなかったのです。
右と左を少しずつ齧って調整し、ようやく元の——いえ、だいたい元の大きさに戻りました。もう長いこと「元の大きさ」を忘れていたので、最初は違和感がありましたが、すぐに慣れました。
森を抜けると、開けた場所に小さな家が見えました。
高さは一メートルほどしかありません。「この大きさのまま行ったら、中の人をおびえさせてしまうわ」——アリスは右手の茸を少し齧り、三十五センチほどになってから近づきました。
家の中から、皿の割れる音と、赤ん坊の泣き声と、ときどき大きなくしゃみが聞こえてきます。玄関先では魚の顔をした従僕が、蛙の顔をした従僕に大きな手紙を渡していました。
「公爵夫人へ。女王陛下よりクロッケーの招待状」
アリスは扉を叩きましたが、中があまりに騒がしくて誰にも聞こえないようでしたので、そのまま入りました。
台所は端から端まで煙で満ちていました。胡椒の煙です。公爵夫人が赤ん坊を抱いて椅子に座り、料理番が大鍋の上で胡椒を振り続けています。
くしゃみをしないのは、暖炉の前の猫——耳まで裂けた口で、にやにやと笑っている猫——だけでした。
その笑みは三日月のように顔の両端まで広がり、消えることがありません。
アリスの視線に気づいた公爵夫人が言いました。
「チェシャ猫さ。だから笑ってる」
「猫がそんなに笑えるなんて知りませんでした」
「知らないことだらけだろうよ。それは確かだ」
その無作法な言い方にアリスが返事を考えていると、料理番が鍋を火からおろし、手近にあるもの——火かき棒、平鍋、皿、椀——を片っ端から公爵夫人めがけて投げ始めました。公爵夫人は当たっても気にしません。赤ん坊はもう最初から泣きすぎて、当たったかどうか区別がつかない様子でした。
「お願い、気をつけて! 赤ちゃんの鼻が——」とアリスが叫びましたが、大きな平鍋が赤ん坊の鼻をかすめて飛んでいきました。
公爵夫人は赤ん坊をアリスに押し付け、「わたしはクロッケーの支度をしなくちゃ」と部屋を出て行きました。
アリスは腕の中の赤ん坊を見下ろしました。奇妙な顔をした子です。鼻が上を向いて——いえ、それは鼻というより鼻面に近く——人間の赤ん坊の顔としてはかなり変わっています。
赤ん坊がブーブーと鳴きました。
アリスはその顔をまじまじと見ました。目が小さく、鼻がますます上を向いてゆきます。
「あなた、もしかして——」
腕の中には、完全に豚がいました。
アリスは豚を地面にそっとおろしました。子豚はとことこと森の中へ走り去りました。
「大人になったら、ずいぶん醜い子どもになったでしょうけど」とアリスは独りごとを言いました。「豚としてはなかなか可愛いわ」
振り返ると、木の枝の上にチェシャ猫が座っていました。
アリスを見て、にやりと笑います。
「悪意はなさそうね」とアリスは思いました。「でも爪は長いし、歯もたくさんあるから、敬意を払った方がよさそうだわ」
「チェシャ猫さん」アリスはおずおずと話しかけました。「ここからどちらへ行けばいいか、教えてくださらない?」
「それは、おまえがどこへ行きたいかによる」と猫は言いました。
「どこでもいいのですけれど——」
「なら、どちらへ行っても同じことだ」
「——どこかには着きたいのですけれど」
「ああ、それなら大丈夫だ」と猫は言いました。「じゅうぶん長く歩けば、必ずどこかには着く」
それは否定しようのない事実でした。
「あちらには帽子屋が住んでいる」猫は右の手を振りました。「そしてあちらには三月兎が住んでいる」左の手を振りました。「どちらを訪ねてもいい。どちらも気違いだ」
「でも気違いのところなんか行きたくないわ」
「仕方がない」と猫は言いました。「ここでは、みんな気違いだ。おれも気違い。おまえも気違い」
「わたしが気違いだって、どうしてわかるの?」
「そうに決まっている」と猫は言いました。「でなければ、こんなところには来ない」
そう言って、猫は少しずつ消え始めました。尻尾の先から薄れていき、最後に残ったのは——あの笑みだけでした。木々の間に、三日月のような笑いが浮かんでいます。
「猫のない笑いは見たことがあるけれど」アリスは呟きました。「笑いのない猫は——いいえ、猫のない笑いなんて、生まれて初めて見たわ」
笑みは空気に溶けてゆきました。
アリスはポケットの茸のかけらをそっと確かめました。右が伸びる方、左が縮む方。このふたつだけが今の世界で唯一、原因と結果が結びついているもの。それすら、いつまで信用できるかわかりません。
森の向こう、木々の隙間に煙が見えます。煙突の煙。誰かの家。
帽子屋か、三月兎か——あるいはまた別の、この世界にしかいない誰かの住処か。
「三月兎のところにしようかしら」アリスは歩きながら呟きました。「五月だから、三月ほどには狂っていないかもしれないもの」
森は静かでした。木漏れ日が揺れ、遠くでフラミンゴが鳴いたような気がしました。
アリスは歩き続けました。
——つづく