
ロバート・ルイス・スティーヴンソン
ロンドン。
十九世紀の終わり、霧の都は夜ごとに二つの顔を持っていました。
昼はガス灯に照らされた石畳の大通りを紳士たちが行き交い、馬車の車輪が規則正しく鳴る。けれど日が落ちれば、裏通りには別の世界が広がります。酒場からこぼれる黄色い灯り、路地の奥に蠢く影、声を殺した笑い声——体面ある人々が決して足を踏み入れないはずの場所。
この物語は、そんなロンドンの霧の中から現れました。
ガブリエル・ジョン・アタスン。弁護士。痩せて背が高く、無愛想で、冷たい印象を与える男でしたが、その内側には静かな温かさがありました。人を裁かない。友人が道を踏み外しても、黙ってそばにいる。それがアタスンという人間でした。
ある夜、従兄弟のエンフィールドと散歩をしていたとき——アタスンは、奇妙な話を聞かされたのです。

「あの角の家を見ろ」とエンフィールドは薄暗い通りの突き当たりを指しました。「先週の夜明け前——三時頃だ。あの扉から、ひとりの男が出てきた」
小柄な男だったといいます。闇の中を足早に歩いていた。そこへ、角を曲がってきた少女がぶつかった。八つか九つの子どもです。
男は——立ち止まりませんでした。
「踏みつけたんだ」エンフィールドの声が低くなりました。「倒れた少女の上を、まるで轍のように踏みつけて、そのまま歩いていこうとした。泣き叫ぶ声を聞いても、振り返りもしない」
駆けつけた人々が男を取り押さえ、医者が呼ばれました。少女に大きな怪我はなかったものの、集まった人間は全員が異様な嫌悪を覚えたといいます。
「そいつの顔を見たとき、吐き気がした。殺してやりたいと思った。女たちは鬼を見るような目で睨んでいた。なのに——何が悪いのか、説明できない。顔立ちが醜いわけじゃない。奇形でもない。ただ……何かが、根本的に間違っている」
男は百ポンドの小切手で示談にしました。その小切手に書かれていた署名は——ヘンリー・ジキル博士。ロンドンで最も尊敬される紳士の名前でした。
その男の名は、エドワード・ハイド。
アタスンは眠れなくなりました。
ジキル博士は旧い友人です。温厚で、気前がよく、慈善事業に熱心な紳士——その男の小切手を、夜中に少女を踏みつけるような人間が持っている。
しかもアタスンは、ジキルの遺言状を預かっていました。その内容が異常だったのです。
「ヘンリー・ジキルの死亡もしくは三ヶ月以上の失踪の際、全財産をエドワード・ハイド氏に譲渡する」
全財産。二十五万ポンド。この街で最も高潔な男が、すべてを——得体の知れない暴漢に遺そうとしている。
アタスンは古い友人ラニョン博士を訪ねました。ラニョンもジキルの学生時代からの友人でしたが、最近は疎遠になっていました。
「ジキルとは十年以上まともに話していない。あの男は科学的に——逸脱した。私の知る医学の範疇を超えたところへ行ってしまった」
ラニョンの表情には、困惑だけでなく、かすかな恐怖が滲んでいました。
アタスンはハイドを探し始めました。
何夜も霧の街を歩き、あの裏口の扉の前に立ち、待ちました。やがてある夜——足音が近づいてきました。
小柄な男でした。アタスンの想像よりもずっと小さい。背は低く、服は仕立てが良いのに体に合わず、袖が余っている。
「ハイドさんですか」
男が振り返りました。
アタスンは弁護士として三十年、あらゆる種類の人間を見てきました。殺人犯も、詐欺師も、狂人も。けれど目の前の男を見たとき、説明のつかない戦{慄|せんりつ}が背骨を走りました。
顔は青白く、笑うと歪む。目には知性がある。どこが畸形なのか——指摘できない。五体満足で、言葉も明瞭で、それなのに、この男の前に立つと本能が「逃げろ」と叫ぶのです。
「ジキル博士から聞いていますよ、アタスンさん」
ハイドは薄い唇で笑い、鍵を取り出して裏口の扉を開け、霧の中へ消えました。
アタスンはジキルの邸宅を訪ねました。
広い応接間には暖炉の火が揺れ、ワインが用意され、ジキルは穏やかな笑顔で友人を迎えました。五十歳を過ぎた大柄な男——紅潮した頬、知的な額、優しい目。どこから見ても、善良で裕福な紳士そのものです。
「ハイドのことだろう」
ジキルはアタスンの表情を読み取り、先に口を開きました。
「心配しなくていい。あの男には事情があるんだ。いつでも——いつでも、あの男を消すことができる。約束するよ」
「遺言を書き直してほしい。あの男にすべてを渡すなど——」
「アタスン」ジキルの声が変わりました。静かに、しかし有無を言わせぬ調子で。「これ以上は聞かないでくれ。私的なことなんだ。ただ一つ約束する——最後にあの男の面倒を見てやってほしい。それだけだ」
アタスンはそれ以上踏み込めませんでした。
暖炉の火が爆ぜ、ジキルの影が壁に大きく揺れました。
一年が過ぎました。ハイドは姿を消し、ジキルは以前にも増して社交的になり、晩餐会を開き、慈善に励みました。アタスンはほっとしていました。
あの悪夢は終わったのだ、と。
けれど十月のある夜——惨劇が起きました。
サー・ダンヴァーズ・カルー。国会議員、七十歳を超えた白髪の老紳士。テムズ河沿いの道で、ひとりの小柄な男と言葉を交わしているのを、窓から女中が目撃しました。
老人は道を尋ねるように丁寧に話しかけていました。すると突然——男が杖を振り上げたのです。
最初の一撃で老人は倒れました。男はなおも打ちつづけました。何度も、何度も、骨が砕ける音がするまで。杖が折れてもまだ、足で踏みつけました。
女中は気を失いました。
折れた杖の破片と、老人の懐にあったアタスン宛の手紙。それだけが現場に残されていました。
あの杖は——アタスンがかつてジキルに贈ったものでした。
警察がハイドの住処を捜索しました。ソーホーの安アパートの一室——そこは異様な光景でした。
片側には上等な絵画が掛けられ、銀の食器が並んでいる。もう片側は荒れ果て、暖炉には燃やしかけの書類の灰が残っていました。壊れた杖のもう半分が、クローゼットの奥から見つかりました。
しかしハイドは消えていました。
アタスンはジキルのもとへ急ぎました。ジキルは書斎にいました。顔は蒼白で、手が震えていました。
「もう終わった、アタスン。ハイドは——もう二度と現れない。誓う。これを見てくれ」
ジキルはハイドからの手紙を差し出しました。「逃げ道はある。御心配なく」と書かれた便箋。
アタスンは一瞬だけ安堵しました。しかし帰り際、ジキルの執事プールに尋ねました。
「今日、手紙を届けた者はいたか?」
「いいえ。今日は誰も来ておりません」
では——あの手紙は、どこから来たのか。
ジキルは立ち直ったように見えました。
二ヶ月のあいだ、旧い友人たちと再び交わり、宗教に熱心になり、善行に励みました。顔色もよく、目に光が戻っていました。
ところがある日を境に——ジキルは突然、誰にも会わなくなりました。
扉を閉ざし、面会を断り、アタスンが訪ねても執事が首を振るばかりです。
ラニョン博士を訪ねたアタスンは、愕然としました。ほんの数週間前まで健壮だった友人が、骸骨のように痩せ衰えていたのです。顔は土色で、目の奥に恐怖が張り付いていました。
「何があった、ラニョン」
「見てしまったんだ……。言えない。聞くな。ジキルの名前を口にするな」
ラニョンは首を振り、震えました。
「あの男は——あの男がやったことは——」
それ以上語らぬまま、ラニョンは三週間後に死にました。恐怖に蝕まれるようにして。

三月のある夜、ジキル邸の執事プールがアタスンのもとに駆け込んできました。
いつも冷静なプールの顔が蒼白で、額に汗が浮いていました。
「旦那さま。どうかお越しください。何かが——何かが、おかしいのです」
二人はジキル邸へ急ぎました。使用人たちが竈場に身を寄せ合い、怯えていました。女中のひとりが泣いていました。
プールはアタスンを裏手の実験室へ導きました。重い樫の扉は内側から閂が下りています。
プールが扉を叩きました。
「旦那さま。アタスン先生がお越しです」
中から声がしました。
「……頼むから……放っておいてくれ……」
アタスンは凍りつきました。あの声はジキルではない。甲高く、掠れて、どこか——泣いているような声でした。
プールが囁きました。
「もう一週間、ああなのです。あの声は——旦那さまの声ではありません」
プールが続けました。
「何度も薬品店に使いを出せと命じられました。ある白い粉が要る、と。しかしどの店から取り寄せても——『違う。これではない。不純物が混じっている』と突き返されるのです」
扉の下の隙間から、紙切れが差し出されることがある。そこには震える字で、同じ薬品の名が何度も何度も書かれているのだと。
「一度だけ、扉が開いている隙に中を——」プールの声が途切れました。「見たのです。実験室を横切る影を。小さくて——旦那さまとは似ても似つかない姿でした。あれを見て、泣きました」
アタスンは決断しました。
「扉を壊そう」
暖炉から薪割り用の斧を持ち出し、プールには火掻き棒を持たせました。使用人たちを呼び集め、アタスンは最後にもう一度、扉の向こうに呼びかけました。
「ジキル。開けてくれ。開けないなら——力ずくで入る」
中から、悲鳴のような声が返ってきました。
「頼む、アタスン——慈悲を!」
「あれはジキルの声じゃない」プールが斧を構えました。「壊してください」
斧が樫の扉を打ちました。一度、二度、三度——閂が悲鳴のような音を立て、錠が砕け、扉が内側へ倒れました。
アタスンとプールが実験室に踏み込んだとき——
暖炉の火が静かに燃えていました。テーブルには薬品の瓶が整然と並び、白い結晶を量る天秤が置かれていました。薬缶の湯が微かに湯気を立てています。
そして床の上に、ひとりの男が俯せに倒れていました。
小柄な男。痙攣した手に小さな硝子瓶を握っている。青酸の匂いが鼻を刺しました。
プールが遺体を仰向けにしたとき——二人は同時に息を呑みました。
エドワード・ハイドでした。
ジキル博士の、大きすぎる服を着て。袖は手首の先まで余り、裾は床を引きずっていました。
ジキルの姿は——どこにもありませんでした。
テーブルの上に、封書が置かれていました。アタスン宛の、ジキルの筆跡です。
そこには——すべてが書かれていました。
ジキルは若い頃から、自分の中に二つの性質が戦っているのを感じていました。昼は慈善と学問に捧げる善良な紳士。けれど夜になると、別の衝動が疼く。快楽を求め、道を外れたいという激しい欲望が、善良な仮面の裏側で暴れている。
「私は偽善者ではなかった」とジキルは書きました。「ただ、両方とも本物だったのだ。善も悪も、どちらも嘘ではなかった。二つの本物の自分が、一つの体の中で——窒息しかけていた」
ジキルは研究に没頭しました。人間の善と悪を化学的に分離できるのではないか——もし悪の性質だけを別の器に移せたなら、善なる自分は完全な善になれるのではないか。
何年もの試行錯誤の末、ジキルはひとつの薬を調合しました。
そして——飲んだのです。

最初の変身は——激痛でした。
骨が軋み、筋肉が捻れ、意識が引き裂かれるような苦しみのなかで、ジキルは鏡の前に這いつくばりました。
映っていたのは、見知らぬ男でした。
小さかった。ジキルよりもずっと小柄で、若く、痩せている。手は節くれだち、顔は——不快でした。どこが、と問われれば答えられない。五体満足で、目鼻も揃っている。けれど見る者すべてに本能的な嫌悪を呼び起こす、何かが纏わりついていました。
「当然のことだった」とジキルは書いています。
「悪の性質は、私の人生において善よりもはるかに鍛えられていなかった。善のジキルは五十年の人生で大きく育ったが、悪はずっと抑圧され、萎縮していた。だからハイドはジキルより小さかったのだ——まだ十分に育っていなかったから」
もう一度薬を飲むと、ジキルに戻りました。
瓶の中に——自由がありました。
最初は、歓喜でした。
ハイドになれば、ジキルの名声も地位も関係ない。誰にも知られない姿で夜のロンドンを歩き、欲望のままに振る舞い、朝になれば薬を飲んでジキルに戻る。紳士の仮面は傷つかない。罪はハイドのもの、体面はジキルのもの——完璧な二重生活でした。
ソーホーにアパートを借り、使用人を雇い、ジキルの遺言をハイドに書き換えさせ——万が一の保険も整えました。
「考えてもみてくれ」とジキルは書いています。「人類史上かつて、これほど完全な免罪符を手にした者がいただろうか。私はマントを羽織るようにハイドになり、椅子に座るようにジキルに戻れた。何をしても、ジキルは無傷なのだ」
ハイドが夜の街で何をしたか——ジキルは詳しく書いていません。ただ「冷酷で」「獣のような所業だった」とだけ記しています。少女を踏みつけたあの夜も、そうした夜のひとつに過ぎなかったのです。
けれど——薬には、ジキルが予見しなかった性質がありました。
ハイドが——育ち始めたのです。
使うたびに、変身は容易になりました。ハイドの体は少しずつ力を増し、衝動はより激しくなり、ジキルに戻ったあとも暗い欲望の残響が消えなくなりました。
あの夜——サー・ダンヴァーズ・カルーの殺害は、ジキルにとっても衝撃でした。老人が道を尋ねただけだったのに、ハイドの内側で突然憎悪が爆発した。歯止めが利かなかった。杖を振るう腕が止まらなかった。
「恐ろしかったのは、殺したことではない」とジキルは書いています。「殺したあとで感じた——歓喜だ。あの瞬間、ハイドは心の底から愉しんでいた。そしてジキルに戻った私は——その愉悦の記憶を、まだ覚えている」
ジキルは薬を捨てました。ハイドとは永遠に決別する。そう誓いました。
二ヶ月のあいだ、善行に励みました。教会に通い、友人と食事をし、患者を診ました。善なるジキルとして生き直そうとしました。
けれど——
一月のある朝、リージェント・パークのベンチに座っていたとき——ジキルの体が痙攣しました。
薬を飲んでいないのに。
気がつくと、手が小さくなっていました。服が余っている。通りすがりの人間が、恐怖の表情で自分を見ている。
薬なしで——ハイドに変わったのです。
「扉は一方にしか開かなかった」とジキルは書いています。「最初は私がハイドを選んでいた。しかしいつの間にか、ハイドが私を——浸食していた。意志とは無関係に、眠りに落ちるたびハイドとして目覚め、ジキルに戻るには薬が必要になった。主従が逆転したのだ」
実験室に閉じこもり、薬を飲んでジキルに戻り、数時間もすればまたハイドに変わる。その繰り返しでした。
薬の消費は加速しました。残りは僅か。そして——最も恐ろしいことに気づいたのです。
最初に使った薬品の中に、ある不純物が含まれていた。その不純物こそが変身の鍵だった。しかし同じ薬品を取り寄せても、もう同じ不純物は二度と混じらない。
薬は——再現できなかったのです。
ジキルの告白は、こう結ばれていました。
「これを書いているのはジキルである。いつまでジキルでいられるかはわからない。この手紙を書き終える前にハイドが戻ってくるかもしれない。
薬は底をついた。これが最後の一包みだ。これを飲めば、もう一度だけジキルとして——この手紙を封じることができるだろう。そのあとは——。
ハイドは絞首台を恐れている。自分が罰を受けることだけは耐えられない臆病な男だ。だからおそらく——自ら命を絶つだろう。私が彼を殺すのか、彼が私を道連れにするのか、もはや区別がつかない。
アタスン、これが不幸なヘンリー・ジキルの生涯の終わりだ」
アタスンは手紙を置きました。
実験室の床には、ジキルの大きすぎる服を着た小さな男が、蝋のように冷たくなって横たわっていました。
青酸の硝子瓶が、その手からこぼれ落ちていました。
おしまい
——物語の奥にあるもの
ロバート・ルイス・スティーヴンソンは一八八六年、三日間の高熱のなかでこの物語を書き上げたと伝えられています。妻ファニーが最初の原稿を「寓意が足りない」と批判すると、スティーヴンソンは原稿を暖炉で焼き、さらに三日で書き直しました。コカインの影響下にあったとも言われますが、真偽は定かではありません。確かなのは、この小説がヴィクトリア朝の偽善そのものを射抜いたということです。
十九世紀ロンドンの紳士は二重生活を生きていました。昼は教会と慈善、夜はソーホーの歓楽街——この構造は公然の秘密でした。ハイドとは「隠す(hide)」であり、体面ある社会が存在しないふりをしている暗部そのものです。
注目すべきは、ハイドがジキルより小さいことです。悪は人を大きくしない。萎縮させ、凝縮させ、純化する。ハイドの「説明のつかない畸形」——誰もどこがおかしいか言葉にできないのに本能が拒絶する——は、フロイトが一九一九年に論じた「不気味なもの(Unheimliche)」の文学的先取りです。悪は見えるものではなく、感じるものとして描かれています。
薬品の不純物が再現できないという結末は、現代の依存症の比喩として読めます。最初の一服は自分の意志で選ぶ。しかしやがて変身は意志を超え、不随意になる。「やめられる」と信じていた人間が、気づけば主導権を奪われている。扉は一方にしか開かない——一度解き放った影を、再び自分の中に封じることはできないのです。