
カルロ・コッローディ
むかし、イタリアのある町に、ジェッペットという年老いた木彫り職人がいました。
妻もなく、子もなく、小さな仕事場でひとりきり。暖炉の火は絵に描いたもので、鍋の中身も絵に描いたものでした。けれどジェッペットの手だけは本物で、どんな木からでも命あるものを彫り出すことができました。
ある日、友人から一本の丸太をもらい受けました。鉋をかけた途端、丸太が叫びました。
「痛い! やめてくれ!」

ジェッペットは驚きましたが、手を止めませんでした。鑿と鉋で丸太を削り、小さな人形を彫り上げました。
目を彫ると、その目がジェッペットを見つめました。鼻を彫ると、鼻がみるみる伸びはじめ、切っても切っても長くなりました。口を彫ると、人形は声を上げて笑いました。
足ができあがると、人形はジェッペットの膝から飛び降り、仕事場の戸口から走り出していきました。
ジェッペットはその人形をピノキオと名づけました。
その夜、ピノキオが仕事場に戻ると、炉端に一匹の蟋蟀がいました。ものを言う蟋蟀——百年もそこに住んでいるという賢い虫でした。
「忠告してやろう」蟋蟀は言いました。「家を飛び出し、勉強もせず、仕事もしない子どもには、ろくな未来がない。病院か牢獄が待っているだけだ」
「うるさい!」ピノキオは木槌を投げつけました。
木槌は蟋蟀に命中し、蟋蟀は壁に張りついたまま動かなくなりました。良心の声は、こうしてあっけなく潰されたのです。
ジェッペットは貧しい懐をはたいて、ピノキオに綴り字の教科書を買い与えました。自分の上着を売って——冬の寒さの中、襯衣一枚になって。
「これで学校へ行きなさい。勉強をして、立派な子どもになるのだよ」
ピノキオは教科書を抱えて学校へ向かいました。けれど途中で、にぎやかな音楽が聞こえてきました。人形芝居の小屋です。
入場料は四ソルディ。ピノキオは一瞬だけ迷い、それから教科書を売りました。
人形芝居の座長、火喰い男のマンジャフォーコは恐ろしい大男でしたが、ピノキオの身の上話を聞くと涙を流しました。
「父親のために上着を売った男がいるのか。この五枚の金貨を持っていきなさい」
ピノキオは金貨を握りしめ、家路につきました。けれど途上、二人の男に出会いました。片足を引きずる狐と、目の見えない猫。
「その金貨を奇跡の畑に蒔けば、翌朝には二千枚の金貨の木が生えてくるぞ」
青い髪の妖精が現れ、ピノキオに警告しました。
「あの二人は詐欺師です。家へ帰りなさい」
「わかっています」ピノキオは答えました。「でも、畑に蒔いたら本当に増えるかもしれない」
嘘をつくたびに、ピノキオの鼻がすこし伸びました。妖精の前でまた嘘をつくと、鼻は部屋の端まで届きました。
「嘘には二種類あります」妖精は言いました。「足の短い嘘と、鼻の長い嘘と。あなたのは鼻の長い嘘です」
けれどピノキオは聞きませんでした。金貨を持って狐と猫のもとへ走っていきました。
狐と猫はピノキオを「奇跡の畑」へ連れていきました。ピノキオは金貨を土に埋め、水をかけ、翌朝まで待ちました。
畑には何も生えていませんでした。金貨は消えていました。
狐と猫が盗んだのです。彼らの足は本当は健やかで、目もよく見えていました。最初から全てが芝居でした。
ピノキオは泣きました。父の上着と引き換えにした教科書、教科書と引き換えにした金貨、金貨と引き換えにした——何もない穴。
それからも、ピノキオはあらゆる忠告を退け、あらゆる誘惑に負けました。
牢屋に入れられ、犬の番犬にさせられ、蛇に道を塞がれ、罠にかかり——そのたびに青い髪の妖精が助けに現れましたが、ピノキオはそのたびに同じ約束をしました。
「もう悪いことはしません。学校に行きます。いい子になります」
そしてそのたびに、約束を破りました。
ある日、学校の友人ロメーオ——あだ名は「灯心」——が囁きました。
「おもちゃの国へ行こうぜ。勉強なんかしなくていい。毎日が日曜日で、朝から晩まで遊んでいられる国だ」
ピノキオの中で蟋蟀の声がかすかに響きました。あの壁で潰された蟋蟀の、最後の忠告が。
けれどピノキオは灯心の手を取り、真夜中に迎えにきた馬車に乗り込みました。馬車を引いていたのは、十二組の驢馬でした。どの驢馬も、靴を履いていました。

おもちゃの国は約束どおりの楽園でした。
壁には「勉強禁止」と書いてあり、通りの名前は「怠惰通り」「ぶらぶら広場」「お昼寝小路」。子どもたちは朝から晩まで遊び、騒ぎ、何もせずに暮らしていました。
ピノキオは五か月のあいだ、一度も本を開きませんでした。一度も鉛筆を持ちませんでした。毎日が甘く、空虚で、同じ味がしました。

六か月目の朝、ピノキオは目を覚まし、頭を掻こうとしました。
手が触れたのは、長い驢馬の耳でした。
鏡を覗き込むと、そこに映っていたのは人形ではありませんでした。灰色の毛に覆われた驢馬の顔が、こちらを見つめていました。
ピノキオは泣こうとしましたが、出てきたのは驢馬の嘶きでした。隣の部屋から同じ嘶きが聞こえました。灯心も驢馬になっていたのです。
ふたりは声を合わせて泣きました。けれどそれは、もう人間の涙ではありませんでした。
驢馬にされたピノキオはサーカスに売られ、鞭で打たれて芸を仕込まれました。
足を怪我すると、今度は皮を剥ぐために業者に売られました。業者はピノキオを海に沈めて溺れさせ、驢馬の皮だけを回収しようとしました。
けれど海の中で魚たちが驢馬の皮を噛み剥がすと、中から出てきたのは——木の人形でした。
ピノキオは木のからだのまま、海を泳ぎ出しました。
海の彼方に巨大な影が現れました。
体長一キロメートルの鮫——いいえ、物語は「巨大な鰐鯊」と呼んでいます。口を開くと、そこは洞窟のように暗く、風が吹き込んでいました。
ピノキオは呑み込まれました。
暗い胃の中を手探りで進むと、遠くにかすかな明かりが見えました。蝋燭の灯です。その灯のそばに、白髪の老人が座っていました。

「おとうさん!」
ジェッペットでした。二年前、ピノキオを探して小舟で海に出たまま、この鰐鯊に呑み込まれていたのです。難破船の中に残された食料で生き延びてきましたが、蝋燭はあと僅かでした。
「おとうさん、逃げましょう。僕についてきてください」
「わしは泳げないのだよ」
「僕の背中に乗ってください。僕は木でできています。沈みません」
鰐鯊が口を開けたとき——それは喘息持ちの老いた魚が欠伸をしただけのことでしたが——ピノキオはジェッペットを背負い、巨大な歯の間をすり抜け、月明かりの海へ泳ぎ出しました。
ジェッペットは震えていました。長い幽閉で体はやせ細り、髪は真っ白になっていました。
「おとうさん、もう大丈夫です。僕がいます」
浜辺にたどり着くと、ピノキオは初めて、ジェッペットのために働こうと思いました。今度こそ、本当に。
ピノキオは水汲みの仕事を見つけ、毎日百杯の水を運んで僅かな金を稼ぎました。夜は籠を編んで売りました。
病のジェッペットのために山羊の乳を買い、自分は何も食べない日もありました。学校にも通い始め、先生からは「品行方正」と褒められました。
五か月が過ぎました。ピノキオは鼻をつまんでみました。鼻は伸びませんでした。嘘をつかなくなっていたからです。
ある朝、ピノキオは目を覚まし、自分の手を見ました。
木ではありませんでした。柔らかな、血の通った、人間の手でした。鏡を覗くと、そこには木目のない頬をした少年が映っていました。
枕もとには青い髪の妖精からの言葉がありました。
「よくやりましたね、ピノキオ」
部屋の隅に、古い木の人形が椅子にもたれかかっていました。腕がだらりと垂れ、首が傾き、ぴくりとも動きません。
ピノキオはしばらくそれを見つめ、それから目をそらしました。
おしまい
——物語の奥にあるもの
カルロ・コッローディは一八八一年、子ども向け新聞に連載として『ピノキオの冒険』を書き始めました。その第十五回で物語は終わっていたはずでした——狐と猫に吊し首にされたピノキオが、樫の木の枝で揺れるという凄惨な場面で。「これでおしまい」とコッローディは書きました。けれど読者と編集者の抗議により、死んだはずの人形は翌号で息を吹き返し、物語は続きました。つまり、ピノキオの「再生」そのものが最初から外部の力——商業的要請——によって強制されたものだったのです。
ものを言う蟋蟀は、ピノキオの「良心」として名高い存在です。しかし原作では第四章で木槌に潰されて死にます。良心の声を物理的に殺す子どもの物語を、コッローディは教訓話として書きました。蟋蟀は幽霊となって何度か現れますが、もはやピノキオの行動を止める力はありません。殺された良心は、いくら蘇っても権威を回復しない。
伸びる鼻は自己欺瞞の可視化です。社会の中で私たちの嘘は見えませんが、ピノキオの嘘だけは身体に刻まれます。そして驢馬への変身——快楽だけを追い求めた子どもが家畜になるという変容は、古代ローマのアプレイウスの『黄金の驢馬』にまで遡るモチーフです。遊びが目的になったとき、人間は人間でなくなる。おもちゃの国で靴を履いていた驢馬たちが誰であったか、ピノキオは最後まで考えようとしませんでした。
そして最も不穏なのは結末です。「本当の子ども」になったピノキオは、椅子にもたれた木の人形——かつての自分——を一瞥し、笑います。原作にはこう書かれています。「あの滑稽な木の人形が自分だったとは」。自由奔放だった木の身体を「滑稽」と切り捨てること。嘘をつかず、勉強し、働き、従順であること。それが「本当の人間」の条件だとすれば——ピノキオが本当に手に入れたものは、自由だったのでしょうか、それとも服従だったのでしょうか。