
イギリス民話より
むかし、あるところに、年老いた母ぶたと三匹の子ぶたがおりました。
母ぶたは貧しく、三匹を養うだけの蓄えがもうありませんでした。ある朝、母ぶたは子どもたちを呼び寄せて言いました。
「おまえたち、もう私には食べさせてやれるものがないのだよ。自分の足で立って、自分の力で暮らしておゆき」
三匹の子ぶたは母に別れを告げ、それぞれの道へと歩き出しました。空は高く、野原は明るく、世界はまだ何も怖くないように見えていました。
一番目の子ぶたは、藁を持った男に出会いました。
「おじさん、その藁をください。家を建てたいのです」
男は藁を分けてやりました。一番目の子ぶたは喜んで、その日のうちに藁の家を建てました。軽くてふわふわした、金色の壁。風が吹くと甘い草の匂いがしました。
——なんて楽な仕事だろう。これでもう安心だ。
子ぶたは満足して、藁の家の中でうとうとと眠りにつきました。

やがて、おおかみがやってきました。
戸口の前に立ち、甘い声で言いました。
「こぶた、こぶた、中に入れておくれ」
子ぶたは震えながら答えました。
「いやだよ、いやだよ、絶対に入れないよ。あごの髭にかけても入れないよ」
おおかみは低く笑いました。
「それなら、吹いて、吹いて、吹き飛ばしてやろう」
おおかみは大きく息を吸い込み——吹きました。藁の壁はまるで蒲公英の綿毛のように散り、家は跡形もなく消え去りました。
おおかみは一番目の子ぶたを食べてしまいました。
二番目の子ぶたは、荊の枝を持った男に出会いました。
「おじさん、その枝をください。家を建てたいのです」
二番目の子ぶたは枝を束ね、木の枝の家を建てました。藁よりはしっかりしている。壁を叩けば乾いた音がして、なかなかのものに思えました。
——兄さんの藁の家よりはずっと丈夫だ。これなら大丈夫だろう。
けれど「大丈夫だろう」という言葉は、たいてい大丈夫ではないときに使われるものです。
おおかみがやってきました。腹の中に一匹目の子ぶたを収め、けれどまだ足りないという目をして。
「こぶた、こぶた、中に入れておくれ」
「いやだよ、いやだよ、絶対に入れないよ。あごの髭にかけても入れないよ」
「それなら、吹いて、吹いて、吹き飛ばしてやろう」
おおかみは大きく、大きく息を吸い込み——吹きました。枝は軋み、壁は歪み、やがてばらばらと崩れ落ちました。
おおかみは二番目の子ぶたも食べてしまいました。
野原には静寂が残りました。枝の残骸の上を、冷たい風だけが通り過ぎていきます。

三番目の子ぶたは、煉瓦を積んだ荷車を引く男に出会いました。
「おじさん、その煉瓦をください。家を建てたいのです」
三番目の子ぶたは時間をかけました。一つ一つ煉瓦を積み、漆喰を塗り、乾くのを待ち、また積みました。何日も、何日もかかりました。
壁は厚く、窓は頑丈で、煙突には鉄の蓋がありました。そして暖炉の下には、大きな大きな鍋をかけるための鉤がありました。
おおかみがやってきました。二匹分の重さを腹に抱え、それでもなお飢えた目をして。
「こぶた、こぶた、中に入れておくれ」
三番目の子ぶたは落ち着いた声で答えました。
「いやだよ、いやだよ、絶対に入れないよ。あごの髭にかけても入れないよ」
「それなら、吹いて、吹いて、吹き飛ばしてやろう」
おおかみは吹きました。力の限り吹きました。顔が赤くなるほど、目が飛び出しそうなほど吹きました。
けれど煉瓦の家はびくともしませんでした。
おおかみは何度も何度も吹きました。吹いて、吹いて、吹き続けました。けれど壁はそよとも動きません。
ついにおおかみは息を切らし、別の手を考えました。屋根に目をやると、煙突が見えます。
——あそこから忍び込んでやろう。
おおかみは爪を壁に立て、するすると屋根に這い上がりました。煙突の口に体をねじ込み、暗い筒の中をずるずると降りていきます。
暗闇の底に、赤い光がちらちらと揺れていました。

三番目の子ぶたは、おおかみが煙突に上ったことを知っていました。
暖炉には大きな鍋がかけてあり、その中では滾々と湯が煮え立っていました。子ぶたは鍋の蓋を取りました。
おおかみは煙突を滑り落ち——まっすぐに、煮えたぎる湯の中へ落ちました。
悲鳴が煙突の中を駆け上がりましたが、それも長くは続きませんでした。
三番目の子ぶたは鍋に蓋をし、火を焚き続けました。
やがておおかみは煮えました。三番目の子ぶたはその晩、おおかみを食べました。
兄たちを飲み込んだ獣を、今度は自分が飲み込んだのです。食うか食われるか——この世界の掟を、三番目の子ぶたは最初から知っていたかのように。
それからというもの、三番目の子ぶたは煉瓦の家で静かに暮らしました。壁は厚く、窓は頑丈で、暖炉にはいつも火が灯っていました。
おしまい
——物語の奥にあるもの
ジョセフ・ジェイコブズが一八九〇年に採録したこの民話では、最初の二匹の子ぶたは死にます。ディズニーが一九三三年に作った陽気なアニメーションとは別の物語です。原話では逃げ延びる余地はなく、安易な選択には死という対価が課せられます。
藁、木の枝、煉瓦——この三段階は労働の質と時間投資の寓話です。最も早く楽に建てた者が最初に滅び、最も時間をかけた者だけが生き残る。現代の経済学が「遅延報酬」と呼ぶ概念を、口承文学はすでに語っていました。
おおかみの「吹いて、吹いて、吹き飛ばしてやろう」という三度の繰り返しは、口伝えの物語に特有の記憶装置です。文字を持たない時代、反復は物語を次の世代へ運ぶための韻律でした。同時にこの反復は、災厄が必ず来るという予告でもあります。問題は「来るかどうか」ではなく「来たとき何で迎えるか」なのです。
三番目の子ぶたがおおかみを食べるという結末を、残酷だと感じる人がいるかもしれません。しかし原話の聴衆にとって、これは正当な帰結でした。かつて子どもの物語は死を隠しませんでした。世界には牙があること、備えなければ食われること——それを幼い耳に刻むのが、寝物語の本来の役目だったのです。